日本でのDV被害者支援

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外国籍女性のDV被害者支援

 昨年 8 月 23 日に、一般社団法人ウェルク主催による「在住外国人 DV 被害者支援のエキスパ ート養成講座」開催第1回目に、土方聖子さんに続いて大津恵子さんが「在住外国人のDV被害者支援について」講演。以下は、その講演を基に、加筆していただいたものです。 
 

大津恵子さん 

女性の家HELP元ディレクター。移住労働者と連帯するネットワーク元共同代表 、人身売買禁止ネットワーク共同代表。ウェルクの代表理事を務める。2000 年DV防止法策定にあたり、DV被害者の現場の状況から、意見を申し入れた。長年外国籍女性のDV被害者支援に携わり、内閣府女性に対する暴力に関する専門委員を約 10 年間務めた。
 


 1991年、私は、タイのチエンマイから帰国しました。タイに行っていたのは夫の仕事のためです。夫は、キリスト教の国際機関、アジアキリスト教協議会の幹事でした。 

 3年いたのですが私にとってタイは刺激的で開放的な場所でした。1年間は、キリスト教系のパヤップ大学でボランティアの日本語教師をしていました。おかげで私のタイ語は、学生に教えてもらうことができました。 

 チエンマイは観光地として有名な所ですが、外国人にとっては、安く女性を買える所でした。あちこちに外国人、特に日本人専用のソープランドのホテルがあり、昼間でも堂々と観光バスが停まっています。バスには、日本語で何何様御一行と書いてあります。夜は、ダウンタウンでは、男性が集まりどこどこの女の子がよかったと大きな声で批評しているのを聞くのが本当に嫌でした。日本語が分かるだけに「恥を知れ」と叫びたくなりました。故松井やより(朝日新聞・編集委員)さんが子どもの買春の問題の会議を開いたことがあり、男性たちの買春の問題を日本人が知る必要があると言っていました。私はタイでは女性に対する支援は何もしていません。日本に帰ってから活動の基礎を学んだと思っています。 

  1991年春、日本に帰国した時、京都のYWCA が外国人への電話相談 APT(Asian People Together)を作りました。当時、私は大阪に住むことになり、夫の出身地である京都に行くのは何の抵抗もありませんでした。 

 1週間に 2度ほど電話相談に入りました。京都からの電話は、ほとんどなく、大阪や和歌山、名古屋などから電話が入りました。特にタイ人が住んでいたのは、それらの地域だったと思います。 

タイ人女性との出会い

 この話は集会で何度も言っているだけに多くの方は聞いておられると思いますが、私にとっては、この女性との出会いが、これから今現在まで支援の現場の活動の原点です。 

 電話は大阪の西成地区にあるカトリックの施設「旅路の里」からでした。 

 今タイ人の女性が来ているのだがタイ語が分からないので来てほしい。私は、1 時間ほどかかる西成まで出かけました。西成のことを分かっている方ですとどの様な地域なのかすぐ分かります、ホームレスや仕事にあぶれた人たち、男たちが所狭しといる所です。私は、駅から旅路の里まではたして無事に行けるのかと思いました。男たちの目が上から下までなめるように見るのです。レイプされそうな気配を覚えました。 

 何とか旅路の里に着くとタイ人の女性が広い部屋にポツンと座っていました。私がタイ語で「サワディカ―(こんにちは)」と言うと彼女は堰を切ったようにタイ語で話し始めました。自分がどんな目にあったかをです。彼女は性を売らなければならないと思っていませんでした。店のやくざから、抵抗すると殴る蹴るの暴行を受けました。そこに居たタイ人の先輩がかわいそうに思い助けてくれたそうです。その時に居た所がどこなのか分からないと言っていました。日本に来てからどこにも行っていない。アパートと店とホテルの 3 か所を行っただけだと言います。人間らしい扱いはしてもらえず「私は、人間です」と言ったのが忘れられず今日まで活動を続けて来ました。 

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