日本でのDV被害者支援

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人身売買事件続く

 当時 1991 年から 93 年頃まで全国でタイ人がアジア人のママさんを殺す事件が起こりました。大阪でもタイ人のボスを殺す事件が起こりました。ボス格の女性はタイで同じ地域から来ている女性で、ともに子どもがいました。殺された女性の夫は日本人で何時もボスから卑下されてきたと言います。加害者の女性には、二人子どもがいてその子どもたちは児童相談所に預けられました。私は裁判の傍聴、拘置所の面会を定期的にしました。初めての拘置所通いに驚いたのは、品物を差し入れるときは、差し入れやという店を通してしか彼女の手元に行かなかったことです。洋服の差しれは、紐が付いているものは抜かれてしまいます。紐で自殺の可能性があるということです。冬になり寒いので綿入れのものを入れようとしますと針が入っている可能性があるとのことで全部いったん解いてしか入れることができません。それでは役に立ちませんのでやめました。暖房はないのでお湯を買います。本はタイ語のものは日本語に訳さないといけません。彼女の手元に着くのに時間がかかりました。春に桜がきれいだと書いた手紙は、夏の終わりに届きました。 

 面会は、日本語でしか許されません。彼女に日本語の辞書を差し入れました。直ぐ私あてに日本語の手紙が来た時は驚きました。拘置所の日本人に習ったそうです。一度子どもたちを拘置所の母親に会わせました。また彼女が有利になるようにタイのバンコックに行き、義理の母親を日本に連れて来ました。彼女は本当にきれいな人でした。客がたくさんいたそうです。最初 2,500,000 万くらいの借金があったと言いますが、半年で返せたといいます。 
彼女も人身売買(人身取引)の被害者でした。 

 APT でいろんな事件の支援をしたのですが、書きだすときりがありません。 

ハンドインハンドちばでの活動

 1997 年東京に住まいを移しました。夫は、アジアキリスト教協議会の総幹事として東京で仕事をすることになりました。私は、千葉で外国人の電話相談「ハンドインハンドちば」に加わることになりました。ハンドインハンドは二つの人身売買の事件に関わり裁判支援をしました。メンバーの女性たちは、千葉在住の教会員の人たちで、リ ーダーは、いまは亡くなっていますが牧師でした。メンバーの支援は、きめ細やかで相談者に寄り添った支援をしていました。私はそこでも外国人の支援をしました。支援とは、このようなことをするのだと教えられました。 

 千葉では人身売買の事件が 2 件ありそれが茂原事件と市原事件です。市原事件がどんな所で起こったのか調べるためにハンドインハンドのメンバーと一緒にその場所に行くことにしました。タクシーで行ったのですがなかなか見つからず、運転手に殺人事件のあった場所だと言うと直ぐに分かりました。近くに小学校もある小さなスナックで 2 階が住まいになっている、どこにでもある所でした。私たちがショックだったのは、そのような場所で人身売買が行われ、殺人事件が起きたということでした。 

 裁判では地元のブローカーは、やくざの親分でした。裁判官が女性に対して相当暴力を振ったのではないかと尋ねると、そのやくざは、暴力を振わなくてもズボンのベルトを抜き、テーブルを叩くと女性は震え、逃げることをあきらめたと答えました。やくざは女性を怖がらせる手立てを持っていることが分かりました。 

 被害者の女性は、名古屋の方まで逃げましたが、やくざが全国に写真をばらまいて居場所を突き止め、子分が捕まえました。そして千葉に連れて来て、強姦したことが裁判で明らかになりました。 

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