国・地域別在住外国人女性
フィリピンの女性
フィリピンの女性
フィリピン女性へのDV、子ども
80 年、90 年代にエンターティナーで来日して結婚する場合が典型的。その他に、業者による斡旋や、すでに来日している親族・知人などの紹介による場合も多い。
① 日本語や日本の法制度に精通していないことなどから、生活を夫に依存。
② 日本での滞在(在留資格)を夫に依存せざるを得ない状況。
③ 外国人女性の定住者支援のための施策の欠如。
④ 日本語の情報から疎外されているが、孤立していることで自国の情報も少ない。
フィリピン女性に対するDV
- 身体的、精神的、経済的、性的暴力などの他、文化・社会的偏見にもとづく暴力母語、文化、社会的状況を否定することで傷つける、日本語、文化を強要する
- 社会的背景に基づく暴力
「フィリピンの料理はまずい」「フィリピンは貧乏、汚い」 - 在留資格などの法的地位の不安定さを利用した暴力
「言うことを聞かないとビザに協力しないぞ」「国へ帰れ」「子どもの親権はやらない」「入管に通報してやる」
DV被害後、母子家庭が抱える困難
日本では、母子家庭と子どもの貧困が問題にされている。しかし、在住外国人の母子家庭の貧困は、数字に出てこないだけに、その困難さは想像に難くない。
経済的困窮
生活保護を受けていない場合:
複数の仕事に従事していたり、夜の仕事をせざるを得ないため、子どもが置き去りにされてしまう。多額の借金を抱えてしまう場合もある。
生活保護を受けている場合:
制度の理解の難しさや現実のニーズとの矛盾から、福祉事務所との対立構造に陥りやすい。
子どもの問題
- 不登校や非行など、子どもの問題に直面することが多い。子どもがいじめを受けている場合も。
- 思春期に達した子どもとの関係が不安定。
- 学校と母親とのコミュニケーションが十分に取れないことが多い。
- 高校進学など、学習面での課題が多い。
- 教育や進学のシステムを、母親が理解できないことが多い。
- 母親自身の困難とストレスから、子どもへの虐待に陥ってしまうことがある。
社会的な孤立
同国人とのつながりはあるが、日本人との関係はほとんどない場合が多い。
呼び寄せ子の問題
- 来日した女性は子どもを 1、2 人抱えている場合が多いため、子どもへの日本語及び教科学習の支援が必要。
- 日本人の義理の父親と同居している場合、関係が不安定になりやすい。
- 長く離れていたため、母子関係にも葛藤が生じやすい。
- 子どもが日本社会で居場所を見出すことができず、非行傾向にある場合がしばしばある。
母国の家族の問題
- 母国の家族の扶養義務や送金プレッシャーが強い場合が多い。
- 母国の家族(とても大きい存在)に問題が発生した場合、日本での母子の生活にも大きく影響する。
子どもの親権
- 国際結婚している間は両親の共同親権となる。離婚時にどちらかに親権を決める
- 事実婚は、両親が婚姻していない場合は、母親に親権がある
- 認知に関しては、婚姻していない場合は、日本、フィリピンの法律上の手続きがある
ワンポイント
フィリピンでは離婚というのはないので、通常離婚は認められていない。婚姻無効という手続きがあるのみ。しかし国際結婚での離婚は認めている。日本の法 律で離婚成立後、フィリピン法上で離婚が認められるには、代理人に依頼するし かないが、30 万から 60 万円ほどの費用がかかる。
フィリピン女性が離婚して再婚する場合はフィリピン法上での離婚手続きをするが、裁判手続きになるため、代理人への依頼など費用がかかる。
人口1億人超、マレー系をはじめとする多民族国家
言語:タガログ語、ビサイヤ語他 英語
首都:マニラ 最大の都市:ケソン市
GDP:41 位
2010 年、女性の権利を守る観点から、裁判所は夫婦別姓も可能と判断している
15 歳以上の国民の識字率は 95.4%(男性:95%、女性:95.8%)。高等教育の就学率は 27.4%(1995年)
キリスト教国で、ほとんどが、ローマ・カトリ ックの信者。フィリピン司教協会は離婚法や人工妊娠中絶や避妊に反対している
カラカサンは、ドメスティックバイオレンス(DV)、在留資格、子どもをめぐる問題など、移住女性が抱える問題の解決に向けてサポートしている。
Cさんの場合
1998 年に来日。エンターテイメントの仕事で、日本人の夫と出会った。子どもがいるので頑張ってきたが、夫は女性と浮気。DVもあった。日本語学校に行かせてくれなか ったため会話もできない。「お前は何もできない」フィリピンに帰れ、と言われた。周りの友達にも、逃げなさいと言われていた。フィリピンでは暮らせないし仕事もない。どんなに辛くても、子どもが小さかったので、別れる気はなかった。我慢するしかないと考えていた。
一時フィリピンに戻っている間に、夫と女性が子どもを連れて出て行ってしまった。お金もないし、どうしていいか分からなかった。いろいろなところで相談をしたら、仕事をして子どもと一緒に生活できるように、お金を貯めるようにとアドバイスをされた。昼と夜も仕事をして、その間に日本語を勉強した。職場でフィリピン人と出会って、その人にカラカサンを紹介してもらった。その後に裁判が始まったら、なんで今頃と言われてすごく不安になった。相談をした所で、仕事をしなさいと言われたからそうしたのに。あれから 5 年以上も裁判をやっている。夫はあちこち逃げて、行方不明になったが、弁護士が探してくれた。支援者も頑張ってくれた。今は子どもと年に数回は会える。子どもはあちこち転校したのでいじめにもあっている。でも子どもと一緒にはまだ暮らせていない。今後も時間がかかりそうだ。夫とは離婚できてなくて別居の形になっている。
支援者から
在留資格は、C さんの場合は裁判が継続していたので、「日本人の配偶者等」として当時は 1 年ごとに更新ができた。保証人は配偶者がなるが、彼女の場合 は、会社の関係者に保証人になってもらった。別居の形なので、在留資格はその まま。2012 年 7 月に、将来和解する意思はなく、単に親権だけで争っている場合は、 短期滞在になるという法務省の通知が出ている。そのため、係争中の女性の在留 資格は、とても不安定な状態だ。
相談員 J さんの話
フィリピン出身で日本に来て 20 年になる。最初は言葉が分からず苦労したが、言葉が分からないことには、様々な問題が解決しないと思い、区の無料の日本語教室で勉強して、今は言葉には不自由しなくなった。現在は外国人の支援活動に参加し、法律相談や福祉事務所などへの同行通訳や電話相談員をしている。
相談者を見ていると、言葉の壁があり、自分の言いたいことが言えないでいることが多い。相談者の一人に、かつて何度も警察に逃げたフィリピン女性がいた。日本語でうまく説明ができず、警察は夫婦喧嘩だと判断してしまう。自治体にも相談したが、門前払いだ った。ビザの手続きの相談を受けて、同行通訳をした。相談者は、夫がビザの申請をしないと日本に居られなくなると夫に脅されていた。また夫から離婚届けにサインするように強要され、すでに離婚届を出してしまったが、子どもの親権は夫になっており、相談者はそれを知らなかった。
その後夫から首を絞められたと相談があり、警察に行くように伝えた。警察では、離婚したのに、いつまで日本に居るのだと言われ、とても不愉快な思いをした。とにかく「このままだと殺される」から大事なもの、通帳や母子手帳をもって逃げる方がよいことを伝え、病院で診断書をもらって、警察に被害届を出した。一時保護が決定したが、行政の担当者である相談員は、なるべく保護を回避する方向にもっていこうとしており、「夫の元に戻ったら殺されますよ」と言い、やっと保護された。被害者が命からがら逃げても、様々なところでこのような 2 次被害にあうことが実感できた。
保護されてからは、一時相談が途絶えていたが、再び相談が入るようになった。行政の担当者は通訳を雇ったが、彼女の言いたいことがほとんど正確に伝わっていなかった。福祉事務所にも繋げられなかったので、友人から借金して生活をしていた。相談を受け、明らかに支援が必要なケースと判断し、支援団体に繋げて、やっと生活保護を受けることができた。
しかし子どもの親権は夫にあるため、親権変更の裁判を起こし、判決が出て親権変更が認められた。仕事も友人の紹介で見つけることができた。彼女は生活が安定してきたので友人もでき、週に 1 回日本語教室に通い勉強もしている。ここまでには長い時間がかかった。
このケースは、警察や自治体など行政の支援に繋がることが難しかったのだが、支援団体に相談をすることができ、きちんと背景や法律を理解している通訳がついたことで、適切な支援に結びついたケースだと思う。今後も言葉の壁のある外国人をサポートして行きたいと思う。一人だけでは難しいので、民間支援団体のメンバーとして、様々な組織と連携してやっていきたい。